中学3年間をほぼ不登校中3男子 A君
A君は中学1年生のはじめから学校に行かなくなっていました。中3となり、私がA君と初めて会った時「これからどうしたいか」と尋ねると、「中学の教室には戻りたくない。でも高校には行きたい。」と話してくれました。それから、A君とは定期的に面接し、「高校ではどのように周りの人と接するか」「高卒後はどうやって自立するか」といった具体的な話し合いを重ねて行きました。
A君は中学1年生のはじめから学校に行かなくなっていました。中3となり、私がA君と初めて会った時「これからどうしたいか」と尋ねると、「中学の教室には戻りたくない。でも高校には行きたい。」と話してくれました。それから、A君とは定期的に面接し、「高校ではどのように周りの人と接するか」「高卒後はどうやって自立するか」といった具体的な話し合いを重ねて行きました。
Bさんは入学当初から複数の科目で課題を提出せず、「やる気がない生徒」と見なされていました。しかし、Bさんは欠席や授業を抜け出してサボるということもなく、生活態度はいたって真面目でした。 Bさんには私から相談に来るように勧め、話をうかがいました。Bさんは「課題をやらないといけない」と分かっていても、どの課題をどの順番でやればいいのか分からないまま、どれも中途半端になっていることが分かりました。『やることが沢山あると、優先順位が付けられない』という発達障害の傾向がうかがえたので、そうした苦手さをサポートするため、科目と課題の内容、提出期限などを一目で確認できる一覧表を作り、私とは定期的に課題の進行状況を確認する面接を続けました。その後、Bさんは夏休み終わりまでにすべての課題を提出することが出来ました。
Cさんは2歳と小2、小4の三人の女の子のお子さんを持つお母さんでした。しかし、育児疲れから家事が全くできなくなり、ひどい時には「子どもと一緒に死のう」とまで考えたそうです。精神科病院では、『うつ病』と診断をされ、服薬治療も続けていました。そこで、私とのカウンセリングでは子育てやこれまでの人生についての話を、病院では主治医とうつ症状や薬の効果についての話をするように相談内容を分けてお話をうかがいました。 Cさんとは、生活の愚痴話や子どもたちとの接し方のアドバイス、育児疲れの溜ってきた時のサインの気付き方などを話し合いました。その後は、精神状態が悪い時は週一回面接をし、回復してきたら数か月に一度のペースでガス抜きの面接をするというように間隔を調整して面接を継続しました。
D君の高校の音楽の授業では、一人ずつみんなの前で課題曲をうたうという試験がありましたが、D君はみんなの前でマスクを外すことが出来ないため、音楽の単位が取れず、このままでは留年が決まってしまうという危機的状況でした。 心の病気の中には、「自分の顔を醜いと強く思い込み、他者に顔を見られることを極端に嫌がる」という症状のものがあります。私は、D君の心のツラさをカウンセリングで受け止めつつ、私から音楽の先生に事情を説明したところ、先生からは「私と二人の状況で、D君の顔が見えないように先生の席の後ろから、D君が課題曲をうたえばOK」という配慮をして頂けることになりました。 後日、D君はちゃんと課題曲をうたって音楽の単位を無事に取得し、2年生に進級できました。マスクの方は2,3月ほど面接を継続しながら、はじめは家で、次は登下校中、最後は教室でと、徐々にマスクを外せる場所と時間を長くできるように練習し、改善を働き掛けました。
Eさんとは高1の終わり頃に出会いました。Eさんは級友とのトラブルを切っ掛けに学校を休みがちになっていました。どうしてトラブルになったのかを尋ねると、言いにくそうに「髪型…」とポツリと答えてくれました。確かに、他の女子高生に比べて、全体的に髪は短く、後ろも刈り込んでいてスポーティーでした。Eさんはやせていて身長も170㎝以上と高く、バレー部に所属しており、後ろ姿は男子と区別がつかないくらいで、どうやら、そうした見た目を級友にからかわれたということでした。話をうかがって行くと、Eさんは以前から女子より男子と話す方が楽しく、見た目もチャラチャラしたものよりシンプルな物を、ピンクや明るい色より、青や白、黒といった暗色を好んでいたそうです。そして、何より学校に行きたくないと思う理由は、「制服のスカート、もう履きたくない」と打ち明け、自分が女性として見られたくないと語ってくれました。 その後、Eさんと話し合い、まず保護者(母)の理解を得てから学校の担任教諭や管理職の先生方に事情を説明し、協力を求めました。幸いにも理解のある先生方で、高2年生から男子制服の着用と、校内の男女共用トイレや更衣室の使用などの配慮を認めて頂きました。Eさんはその後高校に復帰し、「将来はLGBTQの人を支援する団体で働きたい」と語ってくれました。
F君は、中1の頃は活発で友人も多かったそうですが、二学期以降、次第に学校を休むことが多くなり、三学期には市内の適応指導教室に通うようになりました。私は、彼が中2のはじめの頃に出会いました。彼は保護者の方の送迎で適応指導教室に通っていて、主に自主学習をしていましたが、指導員の先生の話では「同じ部屋に他人がいると、F君はずっと両手で顔をおおって隠し、まったくしゃべらない」とのことでした。 そこで、私は部屋の外から声を掛け、挨拶をしてから、F君に入室してよいか尋ねました。ドアのガラスから彼の背中が見えました。声を掛けるとF君はすぐに両手で顔をおおい、うつむいてしまいましたが、入室はOKとうなづいてくれました。その後、うつむいたままのF君とは、「はい」ならうなづき、「いいえ」なら首を振るというコミュニケーションで話をうかがいました。 F君の回答を総合すると、「いつからか分からないが、何となく『僕の顔を他人が見たら世界が終わる』と思うようになり、家でも隠している。ただ、もしこれが病気のせいなら治したい」とのことでした。 心の病の中には、「事実に基づかない、間違った思い込み(妄想)により日々苦痛を感じ、日常生活に支障が出てしまう」という症状の病気があります。F君にはそうした心の悩みを専門の医師に相談してみるように勧め、保護者の方には私から事情を説明して良いか尋ねると、F君も了解してくれました。 その後、父母にも精神科病院への受診を勧めたところ、後日医師よりF君は『統合失調症』との診断と、服薬治療を開始したとうかがいました。服薬の効果で妄想症状が軽快したF君は、中2の二学期から中学校に復帰し、元気に登校するようになったと指導員の先生から話をうかがいました。
夏休み明け、担任の先生よりお話がありました。養護教諭がGさんの腕に傷があるのを見掛け、担任から保護者(母)に連絡したところ、夏休みのはじめ頃、Gさんが自宅で自傷行為をしているのを見つけたとのことでした。その際本人を強く叱り、もう二度とやらないという約束をさせたから「もう大丈夫です」とのことでした。ただ、養護教諭からは「見掛けた傷痕はまだ最近のものに見えた」ともうかがっていました…。 そこで、私から教職員の方々に、多くの場合、自傷行為は繰り返される可能性があり、『強く叱る』『やめるように説得する』といった行為はむしろ自傷行為の潜在化(隠れて行う可能性)を高めるため、危険であることをお伝えし、母が言うように「これでもう終わり」とは考えずに、Gさんとの面接の機会を持たせて頂くようにお願いしました。 はじめにお会いした時、Gさんとは「母には絶対に言わない」という約束のもとで、話をうかがうことができました。やはり自傷は続けていて、母に見つからないように家ではトイレやお風呂場、時には学校のトイレに刃物を持ち込んでいるとのことでした。そもそもの自傷の切っ掛けは友人の女の子で、その子に誘われてやってみたものの、友人は1回でやめてしまったのに、何となく自分は繰り返し続けてしまっていると話してくれました。その頃、Gさんの生活環境は、母とGさんと妹の3人家族で、帰宅後は母の代わりに夕食作りや洗濯などのお手伝いがあり、一方で英会話や学習塾などの習い事が週5日、毎日学校と塾の宿題があって寝るのは0時を過ぎ、学校では周りの友人たちのトラブルの仲裁役を頼まれたり、急に仲間外れにされたりと、気苦労が絶えない状況にありました。 Gさんとは毎週1回の面接を継続しました。はじめは2,3日に一度の自傷のペースが、次第に週一度、数か月に一度と徐々に間隔が空いて行きました。「他の子に知られたくないから」と制服が夏服の間はさらに自制心が働いたようでした。面接を半年ほど続けた頃、Gさんの同意を得て、母とも情報共有し、学習塾以外の習い事はやめさせてもらいました。友人関係ももっと話しやすく、一緒にいて落ち着けるおとなしいタイプの女子たちと仲良くするようになった頃、自傷を始めた切っ掛けを振り返り、「たぶん、わたしは他の子とは違うことができるんだって、見せたかったんですよ」と語ってくれました。中1の学年末、最後の面接の時には、今は母の勧める大学に進むか、好きなイラストの描き方が学べる美術系の学校に進むか進路で迷ってるんだと笑顔で話してくれました。
切っ掛けは担任の先生からのご相談でした。その先生は小学校1年生の受け持ちで、毎日朝の会でクラスの児童に朝食を食べて来たかを尋ね、食べて来た児童に手を挙げさせていましたが、いつもほとんどの子が手を挙げる中、H君は一度も手を挙げたことがありませんでした。家庭に連絡する時に、それとなく朝食について尋ねますが、母はいつも「毎朝食べさせています」と答えるのだとのことでした。 先生は母の虐待、ネグレクト(養育放棄:この場合、母がF君に朝食を与えておらず、ウソをついている可能性)をうたがい、スクールカウンセラーの私に対応を相談してくれました。そこで私は、H君と昼休みに少し時間をもらって話してみることにしました。H君は、特にやせ過ぎているとか見える範囲にアザや切り傷もなく、よくいる元気な男の子でしたが、話をしてみると事情が分かりました。 先生はいつも「朝ご飯、食べてきたかな?」と皆に尋ねていましたが、H君の家では朝食は主にパンだったのです。H君は「僕はパン食べて来たからご飯(ライス)は食べてない」と思い、手を挙げなかったのでした。 結果的にみればH君も母もウソはついておらず、誰も悪くないというお話ですが、H君の『言葉を表面的に、文字通りに受け止めてしまう、思考の固さ』は、もしかすると発達障害である可能性がうかがえること、今後同じような状況で意思疎通のズレから人間関係トラブルが起こりやすい可能性が考えられることは担任の先生にお伝えし、少し注意して目を配る必要がある児童ではとアドバイスさせて頂きました。
Iさんは外出先で倒れ、内科の病院に緊急搬送された後、精神科病院に転院して来られました。Iさんは身長158㎝でしたが、入院当初は体重が28㎏しかなく、主治医からは『摂食障害』との診断を受け、毎日2回の栄養補給の点滴と服薬による入院治療を受けることになりました。ただ、Iさんには自分が病気だという病識がなく、カウンセラーの私に対しても、「太っているから、もっと体重を落としたい。病室の中でどうしたら運動できますか?」と話していました。 『摂食障害』は、食べない(拒食)や食べ過ぎてしまう(過食)等といった食行動の異常を特徴とする心の病ですが、一番怖いところは、Iさんのように『医学的に見て入院が必要なほどやせている』という客観的な事実と「わたしはまだ太っている」と、自分に対する認識がズレてしまっている『認知の歪み』が生じていることです。 Iさんは中学生の頃からダイエットを始めました。やせていることで周りの人から綺麗とほめられ、嬉しかったといいます。それから、勉強も仕事もできて、いつまでもスタイルが良い自分であり続けることがIさんの一番の望みとなり、仕事でミスをしたり、人間関係が上手く行かないことがあったりすると「わたしが太っているからだ」と思い込むようになりました。 Iさんとは、「あるがままの自分、等身大のわたし」を受け入れること、体重の多い少ないといった“外見”ではなく、「本当は、自分の能力、“中身”を皆に認めてもらいたいこと」などを話し合えるようになった頃、Iさんの体重も平均体重に近づき、退院して外来通院に切り替わりました。
発達障害の一つに『ADHD』(注意欠陥・多動症)というものがあります。原因は不明ですが、生まれ持った特徴として、不注意さや衝動性・多動性の高さがあります。「忘れ物が多い、言われたことをすぐ忘れる」とか「授業中、自分の席にじっと座っていられない、すぐ立ち歩きをする」という特徴や「怒るとすぐに手が出る、暴力をふるう、順番を待てない」などといった行動面で目立つことが多いです。小学校で見掛けたJ君は明らかにそれでした。ほぼ毎日同じようにヤンチャな級友たちとつかみ合いの、時には教科書を投げつける、顔面を殴って鼻血を出すなどのトラブルがあり、宿題をはじめとした提出物を期日に出したことはなく、授業中は自席にいる時間の方が少ないくらいでした。ただ、担任の先生にこれまでの事情をうかがうと、発達障害の専門医への相談は一度もないとのことでした。というのも、何度も前の担任教諭やスクールカウンセラーが保護者と話し合いの場を設け、専門医療機関への受診を勧めたそうでしたが保護者は納得せず、先生方の中では「あの家は言っても無駄」と半ば諦められてしまっている状態でした…。 そこで私は、カウンセラーから見て気になったJ君の様子を挙げ、落ち着いて勉強に取り組めないことでJ君自身も困っているのかも知れないこと、もしそうなら力になりたいといった内容をお手紙にして、保護者宛にお出ししました。ほとんどダメ元の気持ちでしたが、意外にもすぐに母から連絡があり、面接に来室されました。家庭でもJ君の養育について、父母間で考えが違うのだと話し、父は職人で、子どもたちには「男は勉強なんでできなくても元気があればいい」「やられたら必ず倍にしてやり返せ!」と言い聞かせているのだそうです。また、『病院』や『医者』に対して不信感があり、「行っても無駄。金を盗られるだけ」と発達障害の通院には断固反対されるのだと語ってくれました。 ただ、今回母が私のところに相談に来てくれたのは、私からの手紙を読み、J君に学校の話を聞いてみたところ、「皆と同じことが出来ない。オレなんて死んだ方がいい」と言ってJ君が涙ぐんでいる姿を見て、どうにかしなきゃ!と強く思ったのだと話してくれました。その後、母に専門医療機関の探し方や選び方、多動さや衝動性は服薬によって安静が促せること、まだ今からでも学習の遅れ(J君は九九がほとんど言えませんでした)を挽回できることなど、アドバイスをさせて頂き、さらに学校での様子をカウンセラーからの所見として情報提供書にまとめ、初診時に担当医に提出し、診療に役立てて頂きました。 J君は服薬を開始し、一月後くらいから徐々に自席にいる時間が増え、三ヶ月後には授業中おしゃべりをする他の児童をJ君が静かにするようにと注意していると担任の先生からうかがいました。また、後日母から、病院受診するという母の気迫に押されたのか、父は「そんなに言うなら行って来ればいいじゃん…」と案外簡単に折れたそうで、「こんなことならもっと早く行けばよかったです」と笑いながら話してくれました。
最近、級友とのケンカや乱暴な言葉使いが多く、目立っていたK君。担任の先生がたびたび注意し、その時は反省した様子を見せるものの、些細なことで急にキレて、ひどい時には教室で他児童に椅子を投げつけたり、低学年の子を突き飛ばしてケガをさせてしまったりすることもありました。先生から相談を受け、私がK君と会ってみることになりましたが、はじめK君は、「またお説教か」という表情でちらっと私を見た後は、私の方に向き合って座ろうともしませんでした。ただ、どんな風に椅子に座ろうとも話ができれば私はそれで構わないので、K君にはそのままで良いことを伝えて、普段の生活の様子を尋ねてみました。 いろいろ質問をして行く中で、家族の話題になりました。長姉(23歳)は結婚をして独立しており、家には父母と次姉(19歳)とK君の4人家族だったそうですが、半年くらい前に次姉が子どもを出産したとのこと。また、長姉には子どもが二人(6歳男の子、4歳女の子)がいましたが、こちらもまた最近離婚して実家に戻って来ているそうです。K君の両親は自営業をしていて忙しく、小学校が終わった後、K君が帰宅すると母や姉たちが仕事や買い物に出て家を空けるので、必然的に年下の子どもたちの面倒はK君が見ることになっているそうでした。ただ、この6歳の男の子(K君にとっては甥)はかなりヤンチャで、赤ちゃんの寝ているベビーベッドを揺らして倒してしまったり、4歳の妹の髪の毛を引きちぎってTVの裏に隠したりといったイタズラがほぼ毎日で、何かあると「あんたがちゃんと見てないからでしょ!」と母や姉たちにK君の責任として叱られるのだと話してくれました。 K君に了解を取って、後日私と母とで面接を行い、K君にとって子守が負担となり、大きなストレスとなって学校での素行不良に繋がっていると考えられることをお伝えしました。母もK君の落ち着かない様子は気になっていたものの、自分たちおとなも忙しさにかまけてK君に面倒事を押し付けてしまっていたと語ってくれました。 その後、母から子どもたちを預けられる保育園が見つかったと連絡があり、家庭での子守の負担が減ったためか、K君は自然と学校での乱暴な行動もパッタリなくなったと担任の先生からうかがいました。
私がまだカウンセラーの資格を取る前の大学生の時、精神科病院に実習に行っていた際にLさんと出会いました。実習生が珍しかったのか、Lさんの方から私に声を掛けてくれました。Lさんは専業主婦でしたが、最近、毎日夕方前の時間になると体調が悪くなり、家事もできなくなって寝込んでしまうのだそうです。内科医院で検査をしても原因が分からず、しばらく休養するようにと医師に勧められ、精神科病院に短期間入院することになったのだと話してくれました。「昼間は元気なんだけど、夕方前になると寝込んじゃうのよね」と力なく笑うのでした。 当時、私はまだカウンセリングの仕方や知識などほとんどない状態でしたが、夕方というのが何かキーポイントに思えて、Lさんに〈夕方になると家では何をされるのですか?〉と尋ねてみました。Lさんは「えーっと、洗濯物を取り込んだり、お買い物に行ったりとか…」と思い出しながら、ふと「夕飯を作るんです。でも…」と言って下を向き、数秒間、黙って何かを考え込みました。私は聴いてはいけないことを言ってしまったかなと内心ひどく焦ったのですが、次の瞬間、Lさんは顔を上げて次のような話をしてくれました。 結婚を機に、夫の両親と同居するようになり、家族全員の食事をLさんが作るようになったそうです。しかし、義母はLさんの料理の味付けが気に入らないのか、作ったものをほとんど食べてくれず、毎日夕方前に食材を買いに行く時に、「どんな料理を作ったら義母は食べてくれるのか」と考えるのがツラかったのだそうです。「そうか…。わたし、義母との関係に悩んでいたんですね!」と、原因不明だった夕方の体調不良の切っ掛けが、義母との関係不和だったのではないかとLさんの中で結びついたのだと話してくれました。それまで、どんよりしたような力無い表情だったLさんが、パッと雲の切れ間から太陽の光がさすように明るい表情になったことが、とても印象的でした。 Lさんとお会いして話したのはその日だけでしたが、ただ話をしていただけで、何も特別なことをした訳ではないのに、Lさん自身が自分の気持ちに気付いたことでパッと表情が明るく変わる瞬間を目にし、私は自分の学んできた心理学が他者のために活かせる道として、カウンセラーを志す切っ掛けとなった出会いでした。
私が小学校のスクールカウンセラーとして勤務していた際に、一学期のはじめ、3年生の担任を務める若手の先生から次のような相談を受けました。 今年度から受け持ちになったクラスの子(Mさん)は、授業中に発表する時でも声が殆ど聞き取れず、教科書を順番に読むという時は、周りの子達に静かにするように注意している。それでも聞き取れないので、最近はMさんを指名してよいものかどうかと迷う。定期的にクラスの活動の様子を写真に撮って、クラスのSNSにあげているが、Mさんはその写真に写るのも嫌がって逃げる。 「ものすごく恥ずかしがり屋で、おとなしい子なのかな…」と思っていたが、最近保護者(母)と話した際にそれとなく家庭の様子を聞いたところ、母が言うには、家では学校のことをよく話していて、昔からおしゃべりな子だったのだと。むしろ「うちの子、うるさくしてご迷惑を掛けていませんか?」と心配された。
私が相談室で勤務している時に、時々顔を出してくれたN君はおしゃべりが好きな男子でした。興味のあるアイドルや好きな歌のこと、気になるマンガやアニメの話しなど、どちらかというとオタクな趣味が好きで、なかなか周りに同じ分野が好きな人がおらず、私を話し合い相手にするため相談室に来ているようでした。