『ひとの立場になって』心に寄り添うということ ②

前回「『ひとの立場になって』心に寄り添うということ ①」の続き

『反省の言葉』の代読について
 たとえば、学校でいじめや人間関係トラブルがあった時に、先生が加害側に「悪いことをしたのだから謝りなさい」と促し、加害側は「ごめんなさい」と言う。次に、それを聞いた被害側は謝罪を受け入れ、相手を許さなくてはいけない。こうした一連の流れは、果たして本当に正しい解決方法なのでしょうか?
私は小学校・中学校・高校と、複数の年齢層の異なる学校現場で勤務をしたことがありますが、驚くことにどの場所でも、児童生徒間のトラブルはこの一連の流れで『幕引き(解決)』とする動きがありました…。 

しかし、保護者や教職員の方に知っておいてほしいことは、被害にあった児童生徒の多くは『謝罪』を求めているのではなく、この件の女児が言うように、「加害者がこれ以上自分に関わらないでほしい」ということです。

これまで私がお会いしてきた、いじめや人間関係のトラブルで悩んでいた児童生徒の中で、「加害者が謝ったら許す」「謝罪したら友人に戻れる」と言ったクライアントは一人もいませんでした。
むしろ、「謝罪の場には行きたくない。顔も見たくない」だとか、「謝ったとしても絶対に本心からじゃない」「先生が謝らせても、先生がいないとこでまたやられる」「謝らせてもそれを根に持ってまた嫌なことをされる」と、『謝罪の場』を設けることは、むしろ被害を受けた側には不安や恐怖を強めるという反応ばかりでした。

この事件では、「加害児童の『反省の言葉』を教員が代読しているのだから、被害児童と加害児童が直接会っていないから良いんじゃないか?」と学校の先生方は考えたのかも知れませんが、被害を受けた女児からすれば学校に通うということ自体、廊下や階段でばったり加害児童に出くわしたり、授業活動や委員会、行事などで至近距離で接する可能性が常にあるということです。おそらく、それは強い恐怖と不安を感じざるを得ないということです。ですので、被害を受けた女児にとって、加害児童たちが反省しているかどうかよりも、「これ以上、あの出来事を思い出したくもない」という気持ちだったのではないかと思います。

『反省の言葉』の代読を聞いた後の、「(男子児童に)関わりたくない」と訴えた女児の言葉の重さ、そこに込められた思いを、私はカウンセラーとして考えずにはいられません。

次回「『ひとの立場になって』心に寄り添うということ ③」に続きます・・・

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