さて、今回は『ウソをつくこと』についての心理学の研究をご紹介したいと思います。おそらく、多くの人は幼い頃から「ウソをついてはいけない」と周りの大人に教えられて育てられて来ました。ただ、成長して行く中で次第に、世の中には「ついても良いウソ」があることを知ったり、時には「本当のこと」を言うより、ウソをつくことで誤魔化したりする方が、人間関係が上手く行く場面があることを学びます。
『ウソつきは泥棒の始まり』や『ウソから出た実(まこと)』など、『ウソ』という言葉が入ることわざは、辞書を開くと軽く20個以上あります。それだけ昔から人々の生活や人間関係に『ウソ』が多く関わって来たと言えるのではないでしょうか。
京都橘大学の柴田利男教授が、大学のHP心理学エッセンス『ウソつきは知性の始まり』の中で、子どもの発達と『ウソ』について取り上げており、大変興味深い記述があります。以下にご紹介します。
「防衛のウソ」は親や先生からの𠮟責や罰から自己を守るためのウソです。子どもは𠮟責や罰を予想した場合、そのような行為はなかったかのように事態を取り繕おうとしてウソが生まれます。(中略)
12~13歳頃になると、利己的な動機や悪意の有無によってウソを“悪”と判断します。事実に反するだけでは“悪”とみなされず、そのウソが結果的に何らかの道徳的ルールを破ることになる場合、はじめて“悪いウソ”とみなされます。このようなウソを「道徳的なウソ」と呼びます。大人がウソとみなし、悪いことと判断するのは、この「道徳的なウソ」のことでしょう。これらの「防衛のウソ」と「道徳的なウソ」が、ウソをついてはいけません、と言われる場合の“悪いウソ”になります。
一般的に、子どもは大体2歳頃からウソをつくことができるようになると言われています。つまり、かなり早い段階から、私たちは成長とともにウソの使い方を学び始めていると考えられます。
柴田先生の言う「遊びのウソ」は、現実とは別の非現実をその場に仮定し、人の持つイメージ力や創造性を発揮する行為であり、かなり高度な認知機能の発達を必要とします。虚構の世界をあたかも現実として楽しめるからこそ、私たちは映画やドラマ、小説等の中で笑ったり、泣いたりすることができると言えます。また、「防衛のウソ」は、自分自身の立場を守るための自己主張や自己弁護でもあるので、心の発達の観点から言えば、それらもコミュニケーション・スキルの発達から生まれる重要な能力の一つといえます。
ただ、ある子どもが「防衛のウソ」や「道徳的なウソ」を繰り返し使う場合は、ウソをとがめるだけでなく、「なぜ、その子はウソをつかないといけない状況にいるのか?」その理由を考える必要があります。子どもが繰り返しウソをつくかなくてもいられるように、SOSのサインに気付き、いろいろな手を差し伸べることが大人の役割ではないでしょうか。